【肥後遊記】第拾漆譚 『肥後のよかとこ、あんなとこ』結婚式の定番「高砂」のルーツは熊本にあり!阿蘇神社から始まる物語
「高砂や~」はなぜおめでたい?その答えは熊本にありました。阿蘇神社や八代妙見祭に隠された、知られざる縁(えにし)を辿る不思議な旅へご案内。

皆さま、結婚式でよく耳にする「高砂やこの浦舟に帆をあげて~」の謡。もちろんご存知ですかな?
実は、あのおめでたい謡が、わたくしが住まう肥後・熊本の国と深~い縁で結ばれていることは、あまり知られておりません。
わたくし、肥後のふしぎを求めて旅する妖怪ひ~でございます! 今回は、熊本県内に眠る「高砂」ゆかりの地を巡り、その隠された物語を皆さまにご紹介いたしましょうぞ!
📜 今回の探訪記録 📜
Topic1:そもそも謡曲「高砂」とは?あらすじと縁起の良い意味を解説
結婚式などの祝いの席で歌われる「高砂」は、室町時代の世阿弥の作品で、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作られたとされ、夫婦の愛や長寿の喜び、国の繁栄の永続などを祝う能とされ古くから人々から親しまれてきました。
特に江戸時代には、幕府の将軍である徳川氏の旧姓が松平氏であったこともあり、松にちなむこの能の演目は重んじられたといいます。
高砂の物語は、阿蘇神社の神主・阿蘇友成(第26代宮司)が、京都に向かう道中、播磨国(兵庫県高砂市)の名所高砂の浦に立ち寄り、そこの松の木陰を掃いていた老夫婦に高砂の松の由緒について問いかけるところから始まります。
すると老翁は、「高砂の松」と(摂津国)住吉の地(大阪府大阪市)にある「住の江の松」と合わせて「相生の松」と呼ばれていることを説明するとともに、昔に『万葉集』が作られた時代のように醍醐天皇が治めている世の中に和歌が栄えていることを二つの松になぞらえて称賛しました。
続けて老翁は、和歌が栄えるのは草木をはじめとした全ての物に歌の心があるといい、特に樹齢千年を保つ常緑の松はめでたいものとして松の由緒を説明しました。最後に老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、沖へと姿を消しました。そこで友成は、老夫婦の後を追って、高砂の浦から住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現して舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福しました。
また、能の詳しいことや高砂のあらすじ等が詳しく紹介されているthe能ドットコムの「高砂」がありますので、そちらをチェックしてください!
Topic2:実は奥が深い!高砂人形と寅さんの口上
映画「男はつらいよ」で主人公・寅さんの啖呵売の口上で、「あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで。」という言い回しがありますが、これは「お前百までわしゃ九十九まで、共に白髪がのはえるまで」をもとにしたもので、もともとは夫婦仲良く長生きし、一緒に長く連れ合おうという意味の言葉です。昔は寅さんみたいな人の啖呵売は聞いて、ワクワクしたものですが、年齢がバレそうなのでこのへんにしときます。
私が子どもの頃は、よく家の玄関や床の間にこの高砂人形が置いてありましたが、この老夫婦の持ち物(箒と熊手)にも意味があるのです。
「高砂」の作中では老夫婦が掃き掃除をしていた時の道具ですが、箒には「災禍を払う」という意味と熊手には「福を集める」という意味があると言われています。また、箒は「掃く」から「百」と、熊手は「九十九まで」にかけたものと言われます。つくづく、日本人はこのような語呂合わせが大好きな人たちで、昔から変わらないものだと思います。
Topic3:「高砂」と熊本を結ぶゆかりの地
阿蘇神社のパワースポット!縁結びのご利益で知られる「高砂の松」
阿蘇神社の境内にある松は、阿蘇友成が高砂の松の実を持ち帰って植えたものの子孫とのことです。この松は夫婦円満や恋愛成就といった縁結びのご利益があるパワースポットとしても知られており、男女で回る方向が異なりますが、この儀式についてはこちらのページをチェックしてください。
阿蘇神社の「高砂の松」
また、高砂神社には樹齢1000年を超えるという「御神木いぶき」が境内に茂っています。こちらは、阿蘇友成が上京途中に持っていた杖を地面に挿したところから生まれたと伝わるご神木です。
しかし、昔のお坊さんや神主さんたちの持つ杖は、地面に挿したら温泉が出たり、木が茂ったりと超能力の持ち主だったのですね。
八代妙見祭の豪華絢爛な笠鉾「松」
ユネスコ無形文化遺産に登録されている「山・鉾・屋台行事」の構成要素の一つでもある八代妙見祭の神幸行事。毎年11月22日(お下り)と11月23日(お上り)に開催される八代神社の祭礼行事です。獅子や奴、木馬、笠鉾、亀蛇など多彩な行列が神輿に供奉して賑やかに市内を練り歩くものです。
その行列に参加する笠鉾「松」は、旧・八代城下の「平河原町」から出される笠鉾です。この祭りの一番の見どころは、豪華な笠鉾や亀蛇(きだ)が練り歩く神幸行列で、1800年代に現在の「松」の飾りになる前は、「孔雀」の飾りがつけられていたことが明和元年(1764年)の記録でわかっています。
この飾りの松は謡曲「老松」にちなんだものと考えられていますが、その他の細かい飾りに「高砂」にちなんだ老夫婦をモチーフにしたものや鶴亀などの縁起の良いものも装飾されています。この笠鉾「松」については、八代市にある「お祭りでんでん館」のサイトをご覧になってください!
八代妙見祭(やつしろみょうけんさい)
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている九州三大祭りの一つ。豪華絢爛な笠鉾や、愛嬌のある亀蛇(きだ、通称ガメ)が町を練り歩く姿は圧巻ですな。
開催時期 | 毎年11月22日(神幸行列・お下り)、23日(神幸行列・お上り) |
開催場所 | 八代神社(妙見宮)および八代市中心市街地 |
※詳細は公式サイト等でご確認ください。
まとめ
いやはや、結婚式でお馴染みの『高砂』が、まさか阿蘇神社の宮司様や八代のお祭りにまで繋がっているとは、驚きでした。
身近にある古い謡一つにも、遠い土地と土地を結ぶ壮大な物語が隠されている…ううむ、これだから肥後のふしぎ探しはやめられません!
さて、次はどんな面白い縁に出会えることやら。わたくし、妖怪ひ~の旅はまだまだ続きます! またお会いしましょう。
【NEXT】
【肥後遊記】第十捌譚 『肥後のよかとこ、あんなとこ』youは何しに肥後の国へ?(人吉市等)
【おまけ】復興のシンボル! 阿蘇神社の見どころ
阿蘇神社は、平成28年の熊本地震で甚大な被害を受けました。しかし、熊本県内外からの大きな支援などを受けながら復旧工事も進み、今では美しい楼門などの姿を見ることができるようになっています。ぜひ足をお運びください!
あわせて、阿蘇神社では季節の移ろいと稲の生育段階にあわせて儀礼的に行う「阿蘇の農耕催事(国指定重要無形民俗文化財)」が季節ごとに行われており、どれも見所満載です。
代表的なものとして、7月には御田祭(御田植神幸式、通称オンダマツリ)が行われ、3月には田作祭が行われます。
まず、御田祭は阿蘇神社に祀られている神々が神輿に乗って行列を構成し、神社周辺の青田をめぐり生育具合を見てまわる行事です。
一方、田作祭は社家の祖先神・国龍神(年祢神とも)の婚儀を表現した儀礼的な行事で、特にクライマックスの火振神事は多くの見物人が来訪する有名なお祭りです。
田作祭の火振神事 熊本県観光連盟サイトより
💬 ひ~の何でも質問箱 💬
今回の旅で皆が疑問に思いそうなことを、わたくしが答えてしんぜよう!
Q. なぜ「高砂」は結婚式などのおめでたい席で謡われるのですかな?
A. それは、物語が夫婦の愛や長寿、そして平和な世の永続を祝う、大変縁起の良い内容だからですぞ。尉と姥が、離れた場所にいても心がつながっている「相生の松」の精霊であった、という点も夫婦円満の象徴とされております。
Q. 阿蘇神社の「火振り神事」は、どんなお祭りなのですかな?
A. あれは、国龍神という神様の結婚を祝う、情熱的なお祭りですぞ。姫神様のもとへ向かう道筋を、氏子たちが松明の火で明るく照らしているのが、あの幻想的な「火振り」の正体。わたくしも一度は間近で見てみたいものですな。
⛩ 阿蘇神社 アクセス情報
豊かな自然に囲まれた阿蘇神社へ、ぜひ足をお運びくださいな。
■ 公共交通機関をご利用の場合
- JR豊肥本線:「宮地駅」で下車後、徒歩で約15分。
- バス:「阿蘇駅」から産交バス(阿蘇内牧線)に乗車し、「阿蘇神社前」バス停で下車。
■ お車をご利用の場合
- 住所: 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
- 駐車場: 神社周辺に参拝者用の無料駐車場がございます。
阿蘇神社 御田祭(おんだまつり)
稲の豊作を祈願するお祭り。神々を乗せた神輿や、白装束の女性たち(宇奈利)の行列が、青々とした田んぼの中を進む光景は幻想的でございます。
開催時期 | 毎年7月28日 |
開催場所 | 阿蘇神社および周辺の田園地帯 |
※詳細は公式サイト等でご確認ください。
阿蘇神社 田作祭(たづくりまつり)
一連の農耕祭事の始まりを告げるお祭り。特に、夜に行われる「火振り神事」は必見!燃え盛る茅の束を振り回し、神の結婚を祝福する様は、迫力満点でございますぞ。
開催時期 | 毎年3月中旬 |
開催場所 | 阿蘇神社 |
※詳細は公式サイト等でご確認ください。
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