古くて新しくておいしい八代「とまぴーえん」
天草の東海岸に生まれた私たちにとっての「マチ」は八代でした。
当時は定期船が何隻も八代海沿いの小さな港に立ち寄りながら、八代や三角、そして本渡を結んでいました。
10年ほど前、まちづくりの事業で湯の鶴温泉にお邪魔したとき、遠慮なしに「なんでこんなにさみしくなったのですか?」と旅館の経営者に聞いたところ、「天草んもん(人)が来んごとなったけんたい!!」と言い放たれてしまいました。それほど、天草の暮らしと対岸のマチとは縁が深かったのです。
天草の小さな港から定期船に乗り、八代港(当時は築港といってました)に上陸するとバスに乗り、ショッピングセンター「ニチイ」や本町通商店街などをうろうろするのが楽しみでした。父や叔父たちといくと、必ず「もりしげ」という鶏料理の店で骨付きのもも肉をみんなおいしそうにかじりついてましたが、私はレアな焼き加減がちょっと苦手でした。
八代にはたくさんの思い出がありますので、書き出したら止まらなくなりそうです。
社内で八代の話をしていると「とまぴーえん」というかわいいワードが飛び込んできました。
容易に太平燕(タイピーエン)の亜種であることは想像できました。確かに八代はトマトの町のイメージが最近強くなってます。「トマト推し」です。さらに、明日は話題の「クアンタムオブザシーズ」とかいう島みたいな船がやってくる日です。167,800トン、お客さんを4000人乗せて、さらに乗組員が1500人乗ってるらしいです。天草側から眺めたことはあるのですが、遠くから見ても大きくて、停泊している八代港は僕が知っている景色とは違って見えました。
今回は御船インターから八代インターまで約30分弱。太宰府インターからだと1時間半ほどでしょうか。
インターを降りると県道336号線、八代港線が一直線に東に向かって伸びています。昔の記憶のままだとこんな道はありませんでしたので、どこ走っているかわかりません。
外港に行く前、「築港」に寄ることにしました。
想像していたとおり、定期船もないようで、すっかりさみしくなってます。亡くなった親父や親せきのおじさんたち、ここ数年会ってない従兄。みんなと船に乗ってこの桟橋に降り立ちました。強烈なノスタルジーに襲われ、危うく泣きそうでした。
さて、外港を目指します。おっ!大きな船が早くも見えました。
本当に大きい。写真では伝わらないかもしれません。下に大型バスが見えますでしょうか?
船も珍しいのですが、この外港の広々とした、なんだか映画の撮影が行われそうな場所もいい感じです。機会があれば、もっと近くで取材させていただきましょう。
もう一つの本日のお目当ては、とまぴーえんです。
まったくの飛び込みにもかかわらずご対応いただいた支配人。とまぴーえんの生みの親でもあります。
まずは、注文。メニューにはランチの様々な組み合わせ、トマトギョウザとのセットにしました。
待っている間にも家族連れが「とまぴーえん」を頼んでました。やっぱり人気なんですね。
やってきました。
赤いです。
ほんのりトマトの香りがします。
そもそも太平燕(たいぴーえん)は、もともと中国福建省の郷土料理であったものを熊本の華僑がアレンジしたもの。
熊本県民は給食にもだされていたことから、正統な中華料理と思っており、実は熊本だけのオリジナル料理であったことを知り、多くの県民がその事実に驚いている。
わかりやすくいえば「春雨入り野菜スープ」かな?
ニンニクバリバリ豚骨ラーメン党のわたくしは、やさしいスープとして位置づけており、食する機会も多くはありませんでした。
ずばり、おいしいです。
あっさりスープにトマトの酸味がしっかり味の輪郭を作り、イタリアンにありそうな料理です。
いやいや、これはうまい!
ガシガシ食べてると、ふとテーブルに「はまるラー油」と手書きされた容器を発見。
試しに使ってみましたが。これはこれは。うんうん。餃子を追加で頼むべきだったかもしれない。
全体の印象としては、決してキワモノではありません。トマト味の野菜スープはどなたでも気に入ることは間違いない。
様々な組み合わせがありますが、わたくしはもう一度行っても餃子を、それも追加で頼もうと思います。
そもそも、なんでとまぴーえんだったのか?
支配人に聞きました。
「出荷できず大量に廃棄されている農家のトマトを、なんとか活用できないかと仲間と相談して、研究の結果」だそうです。
オリジナルの証でしょうか?トマトのくまモンがいらっしゃいました。
かわいい。
続く。円山応挙展に行ってきました。
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