【肥後遊記】第拾壱譚 『肥後のよかとこ、あんなとこ』日本にこの1冊だけ!?白髪染め屋の若旦那の旅行記『諸国奇観』
『白髪染め屋の旅』―江戸時代の若旦那、独身最後の旅の風景。 大坂屋藤兵衛として知られた川上藤兵衛正澄の眼差しで描かれた『諸国奇観』が歴史の扉を開く。日本各地の名勝108図の中には、熊本の風景も。細川家の御座船波奈之丸、阿蘇の風景、そして、普賢岳まで?!
肥後(熊本)のふしぎなもんの仲間を求めて、津々浦々を旅している妖怪ひ~でございます。
今回は、江戸時代に主に西日本を歩いて巡り、各地の名所等を絵で記録した白髪染め屋の若旦那・川上藤兵衛正澄(かわかみとうべえまさずみ)の旅行記『諸国奇観(大分市歴史資料館所蔵)』をご紹介します。
『諸国奇観』(大分市歴史資料館所蔵)
はじめに
川上藤兵衛正澄って誰?と思われると思います。
川上さんは、文政7(1824)年に発行された『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』に登場する日本橋通三丁目の白髪染薬家主・大坂屋藤兵衛と同一人物であると推定されている人です。
「大坂屋の広告と白髪染めの説明」『江戸買物独案内』
この白髪染め薬を販売していた大坂屋は、明治時代の広告によれば元禄年間(1688~1704)から続く老舗の白髪染薬屋であり、日本の白髪染め屋の元祖と宣伝しています。『江戸買物独案内』によれば、この大坂屋で扱っている白髪染めは他店のものと違い、一回染めれば色は落ちず、元の紙色より黒くなると宣伝しています。他にも同書には毛生え薬の広告もあり、髪の問題は今も昔も悩むものであったことがわかります。
今回の主人公である川上藤兵衛正澄は、この大坂屋に婿入りした人で、おそらく婿入り前のタイミングに西日本を中心に諸国を友人と巡り、この時に目にした日本各地の珍しい眺めや風景を『諸国奇観』において図入りで紹介しています。
「川上藤兵衛の説明」『諸国奇観』
「本の製作経緯及び友達と旅したことの記述」『諸国奇観』
おそらくこの本は、本を前提に作られており、多くの名所図が製見開き二ページに一つの風景を描いていることからも、出版することを目的に作られたが何らかの理由があり出版されなかったものと思われます。描かれた名所も、今でも観光名所っている錦帯橋(山口)や天橋立(京都)等、様々です。しかし、著者の興味を引いたのは、長崎県の出島周辺の風景や物品で海外の珍しい動物や阿蘭陀等を絵に残しています。
「周防 錦帯橋」『諸国奇観』
「丹波 錦帯橋」『諸国奇観』
「大和 吉野山」『諸国奇観』
「ジャコウ鼠 コウムキという魚」『諸国奇観』
『諸国奇観』と九州
『諸国奇観』には、日本各地の名勝が 108 図描かれており、九州では筑前太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、肥前名護屋城(佐賀県唐津市)、肥前長崎阿蘭陀船の出港の様子(長崎県長崎市)、豊後別府温泉(大分県別府市)、日向霧島(宮崎県霧島市・鹿児島県霧島市)薩摩海門嶽(現在、開聞岳 鹿児島県指宿市)等が掲載されています。
「筑前 太宰府」『諸国奇観』
「肥前 名古屋(名護屋)」『諸国奇観』
「阿蘭陀船出港の図」『諸国奇観』
「日向 霧島山絶頂」『諸国奇観』
「薩摩 海門嶽(開聞嶽)」『諸国奇観』
なお、肥後国の項では、阿蘇が掲載されており、立ち上る火山の煙と麓の阿蘇神社と本坊『現在の西厳殿寺(阿蘇市黒川)あたりか」が描かれています。
「肥後 阿蘇山」『諸国奇観』
その他、おそらく熊本側から見た雲仙普賢岳の風景も描かれていますが、この本の製作が文政8年(1825年)で雲仙普賢岳の火山性地震(島原大変、肥後迷惑)がおこった寛政4年(1792年)の約30年後の姿を描いたものと思われます。
「周防 錦帯橋」『諸国奇観』
細川家の御座船波奈之丸!?
この本に描かれた豊後鶴崎(大分県大分市)においては、熊本藩細川家の御座船波奈之丸や船倉の様子が詳しく描かれています。現在、この御座船波奈之丸は、熊本博物館(熊本市)に藩主が乗っていた部分が保存され、展示されています。
当時の船の全体像や色彩等は絵図からも確認することができ、明治時代前期に製作された「熊本藩主細川氏御座船鶴崎入港図(大分市歴史資料館所蔵)」からはその色鮮やかさを知ることができます。
「熊本藩主細川氏御座船鶴崎入港図(部分)」(大分市歴史資料館所蔵)
もしかすると、著者も鶴崎の港に停泊中の御座船波奈之丸の大きさなどに驚き、絵に記録したかもしれません。また、図中には、船倉や「是より熊本領三十一里」と刻まれた柱が橋の近くに建てられていたことがわかります。ちなみに、妖怪ひーは、人間に混ざって働いていた時に大分市の鍛冶屋さんが持っていた波奈之丸の金具の一部を見せてもらったことがあります(気軽にホイ!と渡され、驚いた記憶があります)。
「豊後鶴崎」『諸国奇観』
『諸国奇観』に描かれた波奈之丸は、インターネットでも公開されており、文化庁の文化遺産オンラインから見ることが出来ます。
【NEXT】
【肥後遊記】第拾弐譚 『肥後のよかとこ、あんなとこ』
意外な穴場!?自然系、人文系、手広くやっています「熊本県博物館ネットワークセンター」
お・ま・け
ちなみに…
加藤清正や細川氏の時代には、大分市の鶴崎や野津原等が肥後領となっており、江戸への参勤交代の際に使用されました。このため、これらの土地には、加藤氏や細川氏の影響が強く残っており、鶴崎地区の劔八幡宮春季例大祭(けんか祭り)や野津原地区の「清正公祭」が今も行われています。その外にも、今でも鶴崎等の人の中には「自分たちは肥後のもんだ」と冗談交じりで話される方もいます。
劔八幡宮春季例大祭(けんか祭り) 大分市HPより引用
清正公祭 大分市HPより引用
詳しくは、大分市のHP「春の行事」、「夏の行事」や「大分市歴史的風致維持向上計画(概要版・本編)」をご参照ください。
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