【やつしろぷれす 切り抜き】晩夏、初秋の散策におすすめ!秀吉も来ていた八代の始まりの地・宮地は水の町
八代の隠れた宝、宮地町をご紹介!歴史と自然が共存する美しい町、宮地。秀吉、ルイス・フロイスが感嘆した絶景スポット古麓稲荷山展広場や、俳句好きにはたまらない春光寺、八代の農業を支える迫力満点の湾洞、豊かな水路が織り成す歴史感じる街並み、そして、中宮の名水まで。八代に訪れるなら、この素晴らしい町をぜひ散策して、その魅力に触れてください!
こんにちわ!やつしろぷれす編集部のさびろんです!大変ご無沙汰をしておりました。
今回は、八代にお越しの際にはぜひぜひ訪れて欲しい、私のイチオシスポットをご紹介します。
つい先日も、福岡・津屋崎からやってきた同級生を連れて行き、好評だった宮地町。これからの季節には、特におすすめなので、ぜひ足を運んでみてくださいね♪
秀吉もルイス・フロイスも感嘆した地、古麓稲荷山展望広場
まずは、八代を一望できるスポット古麓稲荷山展望広場へ。
こちらは、宮地町にある稲荷神社の階段を登った先にあります。
行けばわかる!と言いたいほどに、ほんとに素敵な場所なのですが、
その良さを伝えるには少しだけ歴史の事をお伝えしなければなりません。
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州一円を支配下に置くほどまで勢力を伸ばしつつあった島津氏攻略のために九州に上陸、島津方となった相良氏勢力下の八代は戦わずして降伏、秀吉配下の福島正則が八代城に入城しました。秀吉は5日ほど古麓に滞在し、八代平野の一望できるこの地に立ち、蛇行する球磨川や豊かな田畑を見渡したと言われています。この間、秀吉に謁見しようと八代の海の玄関である徳淵にはポルトガル宣教師たちがこぞって来航、その中のルイス・フロイスは著書『日本史』の中で八代をこのように描写しています。
「この地がいかに清らかで、また優雅で豊穣であるかは容易に説明できるものではない。・・(中略)まるで日本の自然は、そこに鮮やかな緞帳を張ったかのようであり・・(中略)幾つもの美しい川が流れ、多数の岩魚が満ち溢れている。海水は城の麓のにある主要な町に入る一里手前まで入り込んでおり、その町へは、海路からでなくては入ることも登ることもできないようになっている。・・(中略)見渡す限り、小麦や大麦の畑が展開し、清浄で優雅な樹木に覆われた森には、多くの寺院が散見し、小鳥たちの快い囀りが満ち溢れている・・。」
ルイス・フロイス『日本史Ⅰ』豊臣秀吉編Ⅰより
松田毅一・川崎桃太 訳 (中央公論社)
八代市民として、ここまで書いてくれているフロイスさんに感謝しかありません!
というか、こんなに素敵な街だったんですね・・・。
そのルイス・フロイスが感動のコメントを残すに至った場所が、この展望広場からの景色だったと言われているのです!
ここに立つと、フロイスの描写と重なり、その時代の八代の様子が目に浮かびそう。
こちらの展望広場の整備に尽力された方からお聞きしましたが、天気の良い日には、金峰山、普賢岳も望めるそうです。
俳句好きにはたまらない!八代の句碑寺・春光寺
展望広場を後にして、稲荷神社の階段を降りると句碑寺とも言われている春光寺があります。ぜひ、ここも覗いて欲しいお寺です。
こちらは、天正11年(1583)初代松井康之が亡父正之追善のため、丹後久美浜に常喜山宗雲寺を建立したことに始まり、延宝5年(1677)、直之の代に現地に移され、江東山春光寺と改称し今日に至ります。以後、八代城主であった松井家の菩提寺として、八代市民に親しまれているお寺です。
何故、句碑寺なの?と疑問に思い調べてみると
春光寺の先代の住職・澤田清宗さんは花屑の俳号で活躍した俳人でした。
お寺では句会も行い、お弟子さんも20名ほどおられ、俳句仲間がいつも集う場所だったそう。
敷地内には西山宗因、高濱虚子、松尾芭蕉といった錚々たる俳句の巨匠はもちろん、画家の堅山南風、稲畑汀子などの句碑がお寺の敷地中に並びます。
西山宗因 ながむとて首にもいたし首の骨
稲畑汀子 一本の紅葉に染まりゆくわれか
松尾芭蕉 馬ほくほく我を絵に見る枯野かな
これからの季節、敷地内は木々の紅葉も見どころのひとつです。
ぜひ、散策してみませんか?
見よ!迫力満点の湾洞
さて、見目麗しい八代平野を一望したあとは、一度は見ておきたい場所へ。
八代平野は沢山の農産物が育つ豊かな平野。そこに水路が張り巡らされていますが、球磨川の水が使用されています。
豊富な水量の球磨川を引き込む場所が湾洞です。
地元では「わんど」と呼ばれていますが、正式には「古麓第一排水樋管」のこと。ここに一旦引き込んだ球磨川の水路が、八代平野へ、遠くは農業の町である郡築まで張り巡らされているのです。
実は、私も今回の取材で初めて湾洞の存在を知りビックリ!でした。間近で見ると球磨川の迫力、豊かな水量、その水の音に圧倒されます。
宮地手漉き和紙の名残りを感じさせる水路巡りへ
さあ、宮地町は球磨川に近くもあり、古麓という小高い山地にも囲まれ、とにかく水が豊かな町。山水から生まれた清流「水無川」は、ピュア度が違います!
この清流は、昔、宮地を発展させた手漉き和紙に欠かせないものでした。
水無川は、宮地の住宅街に、今も水路として流れています。
砥崎河原よりとら太の会方面へ下り、路地を進み「懐良親王両親の御小袖塚」方面へ進むと路地沿いにせせらぎ水路が流れています。
水路が流れている一帯は手漉き和紙職人さんたちの工房があったそう。
何しろ、歩いているとサラサラとした水の音が心地よいのです・・。
この音が毎日聴けるなら・・私は宮地に住みたい!!!と本気で思いました。
美味しい水を求めて”中宮の水へ”
これだけ水・水・水・・というからには、飲み水も美味しいのが宮地町。
中宮に行けば誰もが汲める水飲み場があります。
中宮は正式名称は「妙見中宮跡」。八代市指定史跡です。現在の、妙見宮(八代神社)が創建されるまで、八代では信仰の中心として栄えていました。
ここは1日中、誰かが水を求めてやってくる場所。
私も度々、時間を見ては水を頂きに訪れます。
中宮の水は、軟水で癖が無くて、もちろん冷たくてめちゃ美味しい水です。
ぜひ水筒持参でお越しください♪
宮地散策マップ
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