震災の教訓を活かせ! 熊本大学考案の「避難所初動運営キット」
“緊急時の避難所運営に必携!” 熊本大学発の「避難所初動運営キット」で天災に備えよう! 熊本地震の経験を活かし、避難所設営に必要なものが1箱に。
目の前のことで精一杯な非常時に、このひと箱
天才・秀才・凡才がかけっこしたら、周回遅れでゴールするのは誰ですか?
答は天才。
「テンサイは、忘れた頃にやって来る」から。
私自身が熊本地震の被災者だから言えますが、誰もが、いつどこで天災に遭ってもおかしくありません。
避難所が学校の体育館でも先生方も何をしていいかわからないかもしれないし、公民館の場合は、管理者がいなくてさらにパニックになることもあるでしょう。
そんな時に役立つのが、この熊本大学発「避難所初動運営キット」!
熊本県防災センターに見本が展示してありますよ。
布ガムテープなどのテープ類や筆記具などの事務用品はもちろん、暗くても誘導するための「保安指示灯」やメガホン・ポリ袋など、とりあえず必要なものがぎっしり!
感染症を防ぎ、少しでも心地よく過ごすためのものが、この箱の中に揃っています。
たとえば、案内標識。
「禁酒」「禁煙」「土足禁止」「火気厳禁」というのを、最初に貼り出すだけでもトラブルを回避できそうです。
学校のトイレは男女別ですが、公民館などで複数ある場合や仮設トイレは、「男性トイレ」「女性トイレ」の張り紙を出すのが重要です。
女性は服の脱ぎ着に加え、サニタリー用品を処理することもあり、どうしても時間がかかります。
待ち時間が長いため、「1時間くらいでお手洗いに行きたくなるので、終わったらすぐ列の最後尾に並ぶ」とおっしゃる高齢の方もいらっしゃいました。
初動をしっかり。トラブル、感染を未然に回避。
このキットを考案されたのが、熊本大学大学院先端科学研究部の竹内裕希子教授です。専門は防災教育で、2023年12月設立のNPO法人「くまもと防災士会」の代表理事でもあります。
竹内教授は「仮設トイレでも『男性専用』を設ければ、どんどん早く済ませられるのに、時間がかかる人の後に並ばないといけないのは時間の無駄ですよね」と語ります。
男女別の「更衣室」や、「授乳室」も必要。案内標識があることで、それを意識できます。
能登半島地震で「更衣室なんかなくても、段ボールで仕切られているんだから、しゃがめば見えない」と主張する男性もいますが、上から覗き放題じゃないですか!
スマホで撮影されるかもしれない状況で、服を脱げません。
女性の気持ちがわからないというより、被災直後は目の前のことで精一杯ですよね。そんな時だからこそ、このキットが役立ちます。案内標識を貼っていくだけ。
避難所が開設して3日間程度に使用されることを想定し、軍手や電源タップ、絆創膏など衛生用品、文具、懐中電灯など25点も入っています。
竹内教授は「避難所によって必要な物も異なるでしょうから、地域で話し合って、どんどん追加していってほしいですね」とおっしゃっています。
机に「受付」という案内標識を貼り、そこで「避難所受付カード」に住所・氏名・年齢・性別などを記入してもらいます。医療・介護支援が必要かどうかを記入する欄もあるため、避難者の特性が把握できます。
これによって新生児用オムツなどの衛生用品・介護用品を支援物資として要請したり、妊婦さんや高齢者、病人、障がいのある方などケアが必要な方を把握して福祉避難所への移動を手配したりするなど素早い対応につながるでしょう。
また住所がわかれば、「この倒壊した家屋の住民は全員避難所にいるので、探す必要がない」など迅速に判断でき、効率的な救助にも役立つはずです。
全国の学校や公民館に、ぜひ1個ずつ備えてほしいですね!
竹内教授によると、「24時間テレビの募金を頂いて400個くらい作り、熊本地震の翌年の夏、希望される学校や役所に寄付しました。後は有料で販売しています」とのことです。
ご購入希望の場合は、直接ご連絡ください。
熊本大学大学院先端科学研究部 竹内裕希子教授
偉人の残した言葉
ところで「天災は忘れた頃にやって来る」というのは、誰の言葉かご存じですか。
竹内先生が教えていらっしゃる熊本大学の卒業生なんですよ!
明治時代、第五高等学校だった頃、英語の夏目漱石先生、物理学の田丸卓郎先生に出会って影響を受け、後に物理学者・随筆家になった寺田寅彦氏の言葉と言われています。
東京生まれの寺田氏が旧制五高に入学した1896年(明治29年)は、その7年前に熊本市周辺で起きた金峰山地震(マグニチュード6.3)から復興している途中だったでしょう。現在、熊本大学大学院自然科学教育部から研究費が支給される「寺田寅彦フェローシップ」もあるんですよ。
漱石先生に俳句を習い、東京帝国大学理科大学に入学するため帰京。漱石先生がイギリスに留学する時は、横浜港まで見送りに行くほど慕っていました。
寺田氏は1923年(大正12年)に起きた関東大震災を研究し、3年後には東京帝国大学地震研究所の仕事もしています。
そんな中で「忘れた頃にやって来る天災に備えよ」という思いが湧いたのでしょうか。語録に残っているそうです。関東大震災から100年以上たった今でも、この言葉は風化していません。
天災を経験した人もそうでない人も、教訓を活かして、防災・減災に努めましょう!
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