【肥後遊記】第4譚『肥後のふしぎなもん』油すまし、全国デビューの歴史。そして、天草にある油すましの墓とは!?
水木しげる先生の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』でお馴染みの妖怪「油すまし」。その名前の意味から全国デビューまでの歴史を妖怪仲間の「妖怪ひ〜」が語る!天草には今も油すましがいた!?そして、地元で「油すましの墓」と呼ばれている場所とは...。妖怪ひ〜が肥後をぶらりぶらり旅する『肥後遊記』第4譚!
むかし、むかし。肥後(熊本)の国には河童や山童のような不思議なもんが、たいそうおったげな。
・・・ということで、初めましての人は、初めまして!
引き続きの方はお待たせしました!
今回は、私のお仲間「妖怪」の中でも、天草にかつていた?今もいるかもしれない、妖怪「油すまし」をご紹介します!
油すましの名前は、もしかすると、聞いたことがある方もいるかもしれません。おそらく、耳にしたことがある人の多くは、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する油すまし(下の画像)を思い出すかもしれません。
しかし、この妖怪が肥後の天草の妖怪であり、そのお墓が天草市にあることはなかなか、知られていません。
この天草市栖本町の草隅越に出没したこの妖怪は、どんな妖怪だったのでしょうか。
天草の濱田隆一という民俗学者が、天草の様々な伝承文化を記した『天草島民俗誌』(1932年刊行)の中で、油すましについて触れています。
この本によれば、この油すましが姿を現したのは、天草市栖本町河内と下浦町との境に位置する、草隅越という峠です。
むかしむかし…
一人のおばあさんが孫の手を引きながら草隅越を越えているとき、その昔、油すましが出たという話を思い出し
「ここにゃ昔、油びんがさげたとん出よらいたちゅぞ。(ここは以前、油すましが出たらしいよ)」
と言うと…
「今も出るぞ~」
といって油すましが出てきたそうです。
…本当に何しに出てきたんでしょう、この妖怪。特に悪さをするわけでもなく、良いことをするわけでもない。
また、現地にある看板によれば、油すましの「すまし」は、地元の方言で「しぼる」という意味で、油すましは「油を絞る人」という意味を示すとのことです。
昔の日本人のあの世とこの世の考え方(他界思想)では、峠や山の洞窟等はあの世とこの世の境界の場であり、峠には妖怪などのあの世の住人や神仏等が出没する場所と考えられていたので、油すましもこの峠に出てきたのかなと思います。
天草に残る油すましの墓?
現在、油すましの看板の近くには、江戸中期から末期に造られたと思われる首から上のない地蔵のような石像があり、これが油すましのお墓と呼ばれているのかもしれません。
この油すましのお墓は、栖本町中心部から河内方面に県道を進み、旧河内小学校を過ぎて50m程の所で左折。数軒ある民家から山に登る道の入り口にある雑木林を10m程入ったところにあります。駐車場は2台分ぐらいありますので、 そこに駐車して登っていくのがいいと思います。
峠までは「落石注意」、峠では「頭上注意」
さて、これまで油すましを、藁蓑を着た人型の姿をした妖怪として紹介してきました。
しかし、この他にも油すましは、人々が峠道を歩いていると頭上から突然油瓶が下がってくる現象の妖怪とする説もあります。
これは、柳田国男の『妖怪名彙』にて、油すましを頭上から物が落ちてくる「サガリ」等の妖怪のグループのなかで紹介しているからです。
自分としては、いきなり頭上から油瓶が落ちてくるより、人型の油すましが峠道から出てくる方が親しみやすいですが、皆さんはどっちの油すましがお好きでしょうか?
さてさて、皆さんも峠道を通られる際には、頭上や道路脇から何かが飛び出してきたら、驚いてあげてください。
それでは次回、またお会いしましょう!
【NEXT】
第5譚 肥後のふしぎなもん
生善院の化け猫と白澤➀ -水上村-
ちなみに…
油すまし、全国デビューの歴史
この油すましの話に興味を持った民俗学者の柳田国男が、『民間伝承』という雑誌に連載した「妖怪名彙」のなかで「釣瓶落とし」など別の妖怪と一緒に油すましを紹介したことで、全国デビューの第一歩を踏み出しました。
その後、この話を読んだ漫画家の水木しげるが、人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の中で名脇役として登場させたことから、油すましは全国的に知られるようになりました。
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