お酒の神様「野白金一」来年、生誕150年を迎えます!赤酒の地を「清酒の聖地」へ導いた偉業
赤酒一色だった熊本を赴任わずか11年で清酒日本一に至らせる。その後16年で、出品数約4,000品の全国大会でベスト3を独占。加えて5位を獲得へ導いた偉人。この奇跡の足跡と、吟醸酒ブームを支えた「熊本酵母」誕生にあった物語とは..
目次
こんにちは、よーしです。
熊本には「お酒の神様」と言われる偉人がおられます。
お名前は野白金一氏。来年(2026年)12月18日はご生誕150年の日。感謝の気持を形に..と思います。
野白金一先生銅像(熊本県酒造研究所内)
加藤清正の時代から約300年、熊本で酒といえば赤酒だった!
赤酒だけって何?
加藤清正公の入国から約300年、熊本で酒といえば赤酒でした。
細川藩では赤酒を「御国酒」と定め、これ以外の酒造りを認めていませんでした。
清酒が熊本に入って来たのは明治維新後。
赤酒は、熊本の一般家庭で「正月だけ登場するお酒」と思っている人は多そう。
でも、昔は宴、慰労、別れなど、いろんな場面で登場していたはず…
例えば、熊本城築城時の人々の労いや祝いの席でも…
【プチ提案】赤酒で乾杯やオリジナルお酒メニュー等は熊本独自の魅力になるのでは😀
赤酒
熊本が「清酒の聖地」となるまでの軌跡
【野白金一の偉業など】
■赤酒だけの熊本を、全国有数の「清酒の聖地」に導かれました。
野白先生のご指導で、熊本は清酒も発展を遂げました。
【概要】
🔵熊本赴任11年後に全国優勝
🔴熊本赴任27年後に全国大会ベスト3を独占。加えて5位を獲得
熊本赴任から全国大会 1位,2位,3位,5位を獲得までの道のり(1903年~1930年)
【少し詳しく】略歴の一部を含む
- 明治9年(1876年)12月18日:島根県松江市生まれ
- 明治36年(1903年):熊本税務監督局鑑定部に赴任
- 明治41年(1908年):熊本県酒造研究所発足【瑞鷹(川尻)の一角から始まりました】
瑞鷹㈱本社
- 大正3年(1914年):玉名の高田屋「初幣」が全国新酒鑑評会で優勝
🔵熊本赴任11年後に全国優勝
- 大正7年(1918年):川尻の瑞鷹の出品酒が全国新酒鑑評会で優勝
- 大正8年(1919年):熊本県酒造研究所 初代技師長就任
- 大正11年(1922年):熊本県酒造研究所が現在地(島崎)に移転
㈱熊本県酒造研究所
🔴昭和5年(1930年):全国新酒鑑評会で 1位、2位、3位、5位を熊本県酒が獲得(出品数約4,000品)
- 昭和27年頃(1952年頃):「熊本酵母」開発に成功
- 他に「野白式天窓」、「二重桶方式」、「首吊り法」などを開発し、全国の酒造りに用いられていったそうです。
吟醸酒ブームを支えた「熊本酵母」と「YK35」
■吟醸酒ブーム
昭和60年代の同ブームに大きく貢献しました。
良い吟醸酒ができる条件は「YK35」という言葉が広まりました。
・Y=酒米の山田錦
・K=熊本酵母
・35=精米の歩合
歴史を動かした「身を切る支援」と、生誕150年への感謝を形にする好機
■瑞鷹の吉村家による「身を切る支援」
大きなバックアップ「赤酒から清酒へ」清酒の仕上がりが悪かった際の対応などで当然、大きなリスクがあったはずです。この難局に対して、瑞鷹の吉村家で引き取るという身を切る支援を提供され、歴史は動きました。
■キュレーターの一言
感謝の気持ちが形になれば、きっと熊本発の新しい地域振興につながる。来年は、まさに好機では。微力ですが、そのお手伝いができればと思います。
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