【肥後遊記】第弐拾譚 『肥後のよかとこ、あんなとこ』南無地の大仏さん、あげてくださいお賽銭~。宇土の地蔵祭りと造り物(宇土市)
熊本の肥後三大夏祭り「宇土の地蔵祭り」。子ども達が活躍する伝統の鐘叩きや、日用品で作るユニークな名物「造り物」など、町中に笑顔と活気が溢れる夏の風物詩の魅力を妖怪ひ~が余すことなくご紹介します!
【重要】令和8年熊本地震に伴う「宇土の地蔵祭り」延期のお知らせ
令和8年7月28日に発生いたしました熊本地震により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
本記事でご紹介しております「宇土の地蔵祭り」は、この度の地震の影響により開催延期が決定いたしました。
最新の開催時期や復旧状況につきましては、宇土市公式ホームページ「宇土市のお知らせ」にて最新情報をご確認いただけますようお願い申し上げます。
目次
肥後(熊本)のふしぎなもんの仲間を求めて、津々浦々を旅している妖怪ひ~でございます。
皆さんは、「川尻の精霊流し」、「山鹿の灯籠まつり」と並び肥後三大夏祭りの一つとして有名な宇土の地蔵祭りに行ったことはありますか?
そんな有名で町の人々のセンスが光る時勢を反映した造り物とお祭りで頑張る子ども達の地蔵祭りの様子を、妖怪ひ~が紹介します!
地蔵菩薩の由来と地蔵信仰の歴史
Point① 地蔵菩薩と地蔵信仰
お地蔵さんや地蔵さん等の呼び方で良く知られている地蔵菩薩(以下、地蔵尊)は、身近な道路やお堂、墓地の入口等にいて身近な信仰の対象となっており、そのご利益や姿形等によって呼び方も異なり「身代わり地蔵」や「火伏地蔵」、「勝軍地蔵」、「延命地蔵」等、様々でその呼び方は百を超える※1ともされています。
この地蔵尊は、お釈迦様が入滅(亡くなった)後に弥勒菩薩が56億7000万年後に現れて人々を救済するまでの間は、この世に仏様が不在となるため、その間はこの世に留まり命あるもの全てを救済する存在であるとされています。
この地蔵尊は、奈良時代にインドから中国を経由して日本に入り、平安時代に末法思想・浄土信仰とともに広がるとともに賽の神や道祖神の信仰とも習合し、各地の村の辻や峠などの道端に祀られています。この地蔵尊は地獄から人々を救う仏様としても信仰を集めるとともに、「賽の河原地蔵和讃(西院河原地蔵和讃)※2」にもあるように賽の河原で子ども達を救済する存在としても信仰を集めました。
また、伏見六地蔵で有名な大善寺(京都市伏見)所蔵の『山城州宇治郡六地蔵菩薩縁起』によれば、平安時代の公家である小野篁が熱病を患い危篤状態となった際に地獄で苦しむ人々を救っている地蔵尊に出会い、地蔵菩薩から「無縁の衆生を救うことは難しいので、娑婆世界に戻って、地獄の恐ろしさと私のことを伝えてほしい」と告げられ、生き返った篁は、1本の桜の木から六体の地蔵菩薩像を刻み、六地蔵の地に納めたといいます。
ちなみに、この小野篁は、生前に昼は朝廷、夜は閻魔大王の元へ出仕していたという伝説があり、漫画やアニメにもなっている「鬼灯の冷徹」にも地蔵尊とともに登場しています。
※1 引用:「地蔵信仰」『日本大百科全書』
※2 親に先立って亡くなった子供が賽の河原で石を積み上げて塔を作ろうとする姿と、それを救済する地蔵菩薩の慈悲を描いた仏教歌謡・説話。
Point② 地蔵祭りとは
この地蔵尊に関係するものとして、現在は8月23、24日に行われる地蔵尊を祀る行事があり、古くから京都を中心とする近畿地方で子どもによって盛んに行われてきました。この日付については、毎月の24日が地蔵尊の縁日であるとされていることに関係します。
平安時代末頃に日本では、末法思想が流行すると同時に地蔵尊が地獄から救済してくれるという地蔵信仰が民衆に広まりました。この頃に始まったとされるのが、前述の小野篁に関連する京都の「六地蔵巡り」であり、この行事は毎年8月22日・23日に「六道めぐり」や「五山の送り火」を終えた後、お盆の締めくくりとして実施されます。この行事は、京都で疫病が流行した際に後白河天皇の勅命により平清盛が、西光法師に命じて、京都の出入り口となる街道沿い六ヶ所に六角堂を建てさせ、小野篁が造った地蔵尊を各お堂に分置したのが始まりとされます。
その他、江戸時代後期の戯作者・曲亭馬琴は、自身の京坂旅行の記録『羇旅漫録』の享和2年(1802)7月22日の項で、地蔵盆の盛んな様子を次のように書きのこしています。
「京の町々地蔵祭あり,一町一組年寄の家幕を張り,地蔵尊を安置し,いろいろ備へ物をかざり,前には灯明挑灯を出し,家の前には手すりをつけ,仏壇の前に通夜して酒もりあそべり,伏見辺,大坂にいたリて,またこれに同じ。」
子どもが参加していたかどうかはこの曲亭馬琴の記録では不明ですが、現在の宇土の地蔵祭りのように地蔵尊の前にお菓子などを置いていた様な光景が昔も見られていたと思われます。
宇土の地蔵祭り
Point① 地蔵祭りの由来
宇土における地蔵祭りは、熊本藩二代藩主 細川光尚の従兄弟である細川行孝(初代忠利の弟・立孝の子)が、筑後善導寺末寺として現在の場所に円応寺を建立して以降のこととされています。
本来の地蔵祭りは、この円応寺の六体の地蔵尊であるとされ、民俗学者・牛島盛光氏の説ではキリシタン大名であった小西氏の滅亡後に細川氏が寺院建立の政策を進めたのではないかとしています(「地蔵」『生きている民俗探訪 熊本』)。なお、同祭りの起源については、疫病等で子どもが亡くなるようなことが無いように地蔵尊に祈願したのが始まりとする説(「宇土地蔵まつり」『新宇土市史 資料編 第二巻』)があります。
Point② 地蔵祭りの見所
地蔵祭りの見所といえば、後述する数々の造り物が有名ですが、各地区の地蔵尊を地域の子どもたちが美しく飾り付けて、お供え物とともに通りに祀る光景も同祭りの大きな見所です。
この地蔵祭りで子ども達は、23日の午前中から準備をはじめ、同日午後5時頃から「鐘叩き」が始められます(下記写真を参照)。この「鐘叩き」では、子ども達がお賽銭を集めるために通行人に呼びかける歌(下記、歌詞参照)を歌って人々を集め、お賽銭をくれた人にお礼として飴等のお菓子をわたします。この時の役割分担(鐘叩き、歌い手等)については、子供たちの中でその役割を決定し、昔の宇土市城之浦地区では、年長者がその役割を差配していたといいます。
なお、現在では新型コロナウイルスの影響もあり、人を集める歌を歌っているのは城之浦地区のみとなっていますが、同様に子ども達が地蔵尊を祀る場所は複数箇所あるので、何箇所あるか探してみても面白いかもしれません。
《現在の歌詞(例:城之浦地区)》
「南無地の大仏さん あげてくださいお賽銭1円上げても 気は心 年に一度の地蔵祭り 上げなっせ 上げなっせ 上げたもんは得するばい」
《昭和三〇年代の歌詞(例:城之浦地区)》
「南無地の大仏さん あげてくださいお賽銭1銭上げても 気は心 (上げんもんは、罰被る)」
宇土の地蔵祭りの造り物
Point① 宇土の造り物の由来とは
宇土の造り物は、日用品等を用いて風刺的なものや時代劇の場面、動物等を、趣向を凝らしながら作り上げたものであり、「見立て細工」とも称されます。この造り物の由来については、地蔵供養のために奉納されたという説やお盆の大売り出しのお礼として各商店が料理をつくり得意先を接待したのが始まりとする説、細川行孝が小西行長の冥福を祈り地蔵尊を祀った上で造り物を奉納したのが始まりとする説等、様々な説が述べられています。
県内では、この造り物が登場するお祭りとしては、他にもみふね地蔵まつり(御船町)や風鎮祭(高森町)、八朔祭(山都町)等があります。
Point② 宇土の地蔵祭りの造り物の見所と工夫
【材料集め】
宇土の地蔵祭りの造り物は、地元の人々や団体等でアイデアが出され、それぞれの技術やセンスを光らせながら様々な造り物を作っていきます。この造り物の材料は、かつては日用品や商家の品物等であり地蔵祭りが終了した際にはもとの状態に戻せるようにしていました(そのやり方も腕の見せ所でした)。また近年では、卵パックや新聞紙、貝殻等の材料も使用しながら人物や様々なテーマに沿ったものを作り上げていきます。なお、この材料は早いところでは、前年の祭り終了後から材料を集めることもあり、貝殻等のように数が必要な物品については公民館等で貯蔵されることもあるといいます。
【テーマ決め・制作】
各地区や団体等でつくるテーマが決まるのは、おおよそ一か月ほど前のことで昔は名人のような人が早めに決めて準備することもあったといいます。この造り物の制作にあたっては、各町や団体ごとにライバル意識があり、他の町の造り物の題材や技法等を気にすることも多く、各家や公民館、駐車場等で夜遅くまで制作が続けられ、時にテーマ被りが出ているかと探り合いもすることがあるといいます。また、各作品は審査の上で採点されて表彰されたりしますが、その審査直前まで当日の天気等を考えて最後までライティング(照明等の演出・仕上げ)を続け、より良い作品作りに熱意をかけています。
【造り物の見所】
各造り物の見所は色々ありますが、妖怪ひ~的にはココを見てもらいたいというポイントを数点あげていきます!
①作品のテーマ:造り物にはその当時に流行っていたものや社会風刺をテーマにしたものがあります。その内容をどのように表現するのかが見所です。
②材料:各テーマを身近にあるお弁当箱やザル、植木鉢等を工夫して用いた表現。その表現を「その材料でするんだ!」と感心させられる個所も見所です。
【NEXT】
【肥後遊記】第弐拾壱譚『肥後のよかとこ、あんなとこ』
天草の地で名将・加藤清正と一騎討ちの果てに散った武将・木山弾正(益城町・天草市等)
おまけ:県内の造り物と「造り物」のお手本紹介本
この造り物は、日本全国の様々な場所や大きさのものが、テーマに沿って材料に用いる日用品等の元々の形や色等を活かしながら作られてきました。もし、興味があれば近くのみふね地蔵まつり(御船町)や風鎮祭(高森町)、八朔祭(山都町)等の造り物が登場するお祭りに足を運んでいただければと思います。
その他、江戸時代につくられたという『造物趣向種:四季』は「造り物」の作品集で、内容はホウキでできたカマキリや三番叟、戎、鎧等の様々な作品の完成形の見本に加えて、そのつくり方や材料が记されています。
もし、造り物に興味がある方は、本の見本を片手に作ってみませんか?他の見本に興味がある方は、大阪市立中央図書館デジタルアーカイブスに掲載されているものを見てみましょう!

















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