【肥後遊記】第八譚 『肥後のふしぎなもん』地震・治水・美肌の神様?ナマズ様!(阿蘇市・御船町・嘉島町)
肥後をぶらぶら旅する『肥後遊記』第八譚。妖怪ひ~が肥後(熊本)のふしぎなもんの仲間を求める旅に出ました。今回は肥後のナマズの伝説を探して、阿蘇市、嘉島町、御船町を訪れます。肥後には数多くのナマズに関する伝説が残っており、美肌効果や秋篠宮殿下の関心も。さあ、県内のナマズ伝説の数々を一緒に探検しましょう!
肥後(熊本)のふしぎなもんの仲間を求めて、津々浦々を旅している妖怪ひ~でございます。
今回は、肥後に残るナマズの伝説を探して、妖怪ひ~が阿蘇市、嘉島町や御船町をぶらぶらと旅します!
鯰といえば、皆さんが想像するのは、川底にのぺっとしている魚の鯰や地震の原因として要石で押さえつけられているナマズの姿ではないでしょうか。
そんな一般的なナマズ以外にも県内には、数多くのナマズに関する伝説等が伝わっていますので、良ければお近くのナマズの聖地にいってみませんか!?
それでは、県内のナマズ伝説の数々を見ていきましょう!
Topic1:正体は阿蘇カルデラ湖の主、だけど、ちょっぴり可哀想なナマズ(国造神社(阿蘇市))
阿蘇市に残るナマズ伝説とは・・・。
それは、昔々、阿蘇にカルデラ湖がまだあったころ、健磐龍命(阿蘇神社の主祭神)が、阿蘇の平野を開拓するにあたり、その湖の水を抜くために数鹿流(現在、南阿蘇村立野)の岩盤を蹴破りました。
そうしてカルデラ湖から水が減ると、湖から阿蘇谷の半分程ある大ナマズが出現しました。そこで、健磐龍命はこの鯰を説得(どちらかというと立ち退き交渉?)したそうです。
その結果、大ナマズは湖の水とともに下流に流れていったそうです。その後、健磐龍命は、人々にナマズを採ることを禁止させるともに、大ナマズを湖の精として祀ったそうです。そして、その祀った祠は、今現在、阿蘇市の入野地区にある国造神社の神殿の右側にあります。
Point そのヌルヌルお肌は、美肌に効果あり?
俗に「白なまず(別称、ナマズ肌)」と呼ぶこともある「尋常性白斑」という皮膚病がありますが、これに関してか、ナマズは皮膚病を治す存在として少なくとも江戸時代には各地で信仰されてきました。阿蘇市の国造神社でも病気治癒を願って、鯰の絵の奉納を行う風習があるそうです。
ちなみに、県外では美肌の湯として有名な佐賀県の嬉野温泉にある豊玉姫神社(「浦島太郎」の乙姫のモデルとされる)では、白ナマズが豊玉姫の使いとして祀られていて、美肌に効果があるとして信仰されているようです。
・・・私も最近、アレルギーで皮膚が荒れて来ているので、湯治とあわせて行こうかな。
Topic2:阿蘇のカルデラ湖から流れ、流れた大ナマズ(嘉島町)
先程、紹介した阿蘇のカルデラ湖から流れでた大ナマズは、現在の嘉島町に流れついたといい、その場所には今でも「鯰」という地名が残っています。
しかし、このナマズがとても大きかったため、人間の手によって切り分けられてカゴに入れられてしまい、それが6つあったので六荷(現在の嘉島町六嘉)という地名になったという説もあります。
この六嘉は天然の湧水地であり、天然のプールもありこれからの季節にちょうど良いかもしれません。またナマズは水神とされることがあるので、湧水と何らかの関係があったかもしれません。
Topic3:秋篠宮殿下も調査に来られたナマズの伝説(御船町)
辺田見若宮神社には、他の地域とは違ったナマズの伝説が残っています。
それは、かつて御船川が大洪水を起こしたとき、神社の社殿と御神体が流され、氏子が御神体を探していたところ、緑川の近くの犬淵(いぬぶち)に住んでいた大ナマズが流れてきた御神体を保護したというものでうす。この時、氏子が御神体を迎えに行ったことが、今でも200年以上続く若宮神社の通し物の起源とされています。
この他にも、大津町の2匹のナマズが彫られた「石造額絵馬」等、ナマズに関わる伝説や逸話がありますが、それらはまたの機会に!
【NEXT】
第九譚 『肥後のふしぎなもん』
不知火海の怪異!?アマビエ
(上天草市)
お・ま・け
ちなみに…
鰻が無いなら、鯰を食べれば良いじゃない! ~近畿大学が発明したナマズ丼~
近年、鰻が絶滅危惧種になり、なかなか食卓にあがらない昨今です。しかし、平成28年(2016年)に近畿大学が、鰻の味に近づけた鯰、「近大発ナマズ」の開発に成功しました。味は意外にも泥臭くなく美味しいとのことです(いつか、食べてみたいものです)。
また、近畿大学が同年にこの「近大発ナマズ」を使った丼ものを作成した際には、熊本地震の復興支援の意味を込めて、熊本県産米を使ったものが学食等で提供されたとのことです。
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