【肥後遊記】第5譚『肥後のふしぎなもん』悲劇が生んだ化け猫”玉垂”。-なぜ「猫寺」は生まれたのか?そして、なぜ玉垂のもとに願い人が集まるのか?-
水上村にある千光山生善院、通称「猫寺」。近年、愛猫家の間でも人気スポットになったこのお寺。なぜ、猫寺と呼ばれるようになったのか?境内にある化け猫"玉垂"の像に人々が祈願にやってくるのはなぜなのか?全ての始まりは戦国時代に起こった悲劇だった。妖怪ひ〜が肥後をぶらりぶらり旅する『肥後遊記』第5譚、生善院の化け猫伝説!
肥後(熊本)のふしぎなもんの仲間を求めて、津々浦々を旅している妖怪ひ~でございます。
今回は、歴史小説家・司馬遼太郎が、その著書『街道をゆく』で、「日本でもっとも豊かな隠れ里」と称した人吉・球磨地域最東端の水上村。
その水上村にある千光山生善院に伝わる化け猫伝説と本堂に彫られた神獣・白澤を2回に分けてご紹介します!
化け猫伝説の舞台は通称”猫寺”!
生善院の山門の両側には狛犬ならぬ「狛猫」がいます。また、このお寺は通称「猫寺」と呼ばれています。
なぜ狛猫がいるのか?これには戦国時代末に起こった悲劇、そして、化け猫騒動が関係しています。
非業の死を遂げた僧侶
戦国時代末、相良という戦国大名が、人吉・球磨を中心に勢力を伸ばしていました。
ある時、その相良家の出城である湯山城(水上村)の城主とその弟(普門寺の住職)が、相良家に謀反を企てているという疑いがかけられました。兄は日向国(宮崎県)に逃げ延びたのですが、弟は「逃げたら、謀反を企てていたことを認めたことになる」と考えて寺に残った後、相良家に攻められて亡くなってしまいました。
母の愛と怨念が化け猫を生んだ。
兄弟への謀反の疑い、そして、愛する息子の死を知った母・玖月善女は、憎き相良家へ呪詛をかけるため、市房山神宮(水上村)に籠りました。
彼女は、21日間の断食を行ない、自ら指を噛み切って噴き出た血を「玉垂」という愛猫になめさせ、怨霊となって相良家を祟るよう言い含めると、「茂間ヶ淵」に身を投じたと言われています。
その後、猫の怨霊が現れたり、事件の関係者が急死したりするなど、様々な怪異が起こったそうです。
この祟りを鎮めるために相良家の当主が、普門寺跡に建立したのが生善院なのです。
供養のために寺社を建立するのはなぜ?
相良家が玖月善女らを供養するために寺社を建立したのには、日本に昔からある「御霊信仰」が関係しています。
昔、日本では、病気や戦争等で非業の死を遂げた人物等が「怨霊」となって、その怨みを現世にはらすため、祟りを引き起こすと考えられていました。菅原道真や平将門が有名ですね。
「怨霊」を寺社等で神として祀る事によって「怨霊」を鎮め「御霊」へ変化させ、その力を、災害除けや疫病除け等に転じる事ができるとしたのが、この御霊信仰です。
今では、愛猫家の間で有名なお寺に
さて、悲劇から生まれた化け猫”玉垂”ですが、飼い主の願いを叶え、仇討ちを果たしたことから、その力にあやかろうと大勢の方が祈願に訪れるようになりました。
また、猫の朱印が押された御朱印や江戸時代から伝わる版木を使って手刷りされた「猫の守り札」、ねこのおみくじ、かわいい絵馬などを求めて愛猫家が集まるスポットにもなっています。
春には巨大な玉垂が現れる!?
さてさて、最後に3月には、かわいい猫のひな人形が飾られる猫寺 雛ん祭り、そして、お嶽さん参りが、そして、4月には猫寺春の大祭が開催される予定です。
※新型コロナウイルス感染症の影響で、予定変更となることもありますので、事前にご確認ください。
大迫力なので、ぜひ実物をご覧いただきたいです!
さて、生善院の化け猫のお話はここまで。
次回は、生善院本堂に彫刻された、不思議な中国の神獣・白澤についてご紹介します。お楽しみに!
生善院 化け猫伝説マップ
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第6譚 『肥後のふしぎなもん』
ポストアマビエ? 白澤ってなあに?
[…] 生善院については前回、化け猫伝説について書いているので、ぜひ合わせてご覧ください! […]
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