熊本城と健軍エリア
熊本城と加藤神社を起点に、清正公ゆかりの健軍、水前寺・江津湖エリアを巡る歴史旅。加藤神社のあまり知られていないお話も紹介!
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こんにちは、よーしです。
今回は明治10年(1877年)2月におきた西南戦争における熊本城に係る記事です。
ご神体は無事だったのか
西南戦争で、熊本城は築城約270年後にして初めて戦の舞台になりましたが、近代兵器の攻撃に耐え2月22日から52日間とうとう落ちなかったそうです。
では、加藤神社の加藤清正公のご神体は大丈夫だったのでしょうか?
加藤神社
錦山神社(現在の加藤神社)が、京町台(磐根橋の近く)に鎮座の際に起きた西南戦争。
加藤清正公のご神体は事前に健軍神社へ避難されご無事。
【参考】加藤神社ホームページ👉http://www.kato-jinja.or.jp/
錦山神社(加藤神社)跡の掲示
新堀町バス停付近
つまり、清正公や熊本城は健軍地区とのご縁がある訳です。
そういうことで、この記事では健軍エリア。他に水前寺・江津湖エリアと清正公の関係を見てみたいと思います。
健軍エリア
電車通りから健軍神社へ向かう道は馬の調練場として清正公が健軍神社に寄進されたそうで、参道には清正公の銅像が建ちます。
健軍神社参道
健軍神社
熊本県に清正公の銅像は5カ所あると聞きますが、肥後銀行神水支店前がその一つです。
かっこいいですね!
清正公像/肥後銀行前
水前寺・江津湖エリア
ここは地下水の出口の一つ。他に日本名水百選(熊本県・富山県が全国最多)の一つで「水前寺・江津湖湧水群」でも有名。
また熊本市の地下水の恩恵は、阿蘇の自然の恵みと白川中流域の大津町・菊陽町で清正公から始まったと言われる大規模な河川・治水工事の恩恵など。
飛躍的に水田が増え、ザル田と呼ばれる土地から浸透した水が地下水の源の一つと言われます。
元々、江津湖は湿地帯だったと聞きますが、清正堤築造等のお陰で地下水が溜まって湖になったそうです。
江津湖
筆者より一言
熊本城内と水前寺・江津湖・健軍エリアをセットでの観光はとても魅力的と思います。
是非、お出掛けくださいね😀
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