地獄の釜が開く毎年7月16日に、「閻魔さまと地獄絵図~ご開帳」えんま祭りが開催!
毎年7月16日、「地獄の釜のフタが開く日」限定で地獄絵図をご開帳! 水前寺エリアにある『玄宅寺』にて、ミニ縁日やアメフトチーム、武将隊の演舞など夏祭りが開催されます。

お盆と言えば、年に一度、ご先祖様や仏様、精霊などが現世に戻って来られるシーズンです。
特に7月16日は、「地獄の釜のフタが開く日」と言われ、地獄に落ちた先祖さえも現世にカムバック可能!
しかしフタが閉じるのも同じ日です。
一日限りで、地獄の鬼たちもフタを開けっぱなしにして休んでいるそうです。
そんな7月16日には毎年、水前寺成趣園そばの玄宅寺にて「閻魔さまと地獄絵図~ご開帳」という夏祭りが開催されます。
玄宅寺に代々受け継がれるのが、閻魔大王と、地獄絵図が描かれた10本の掛け軸。
こわ~い地獄の様子を見たら、悪いことするのはやめようと思います。
玄宅寺の永野陽子さんは、「命の大切さや物の大切さを感じてほしいですね。他人を尊重することや、ウソのない素直な気持ちを大事にすることを見直して、正しい生き方を考えるきっかけになれば嬉しいです」と語ります。
縁日やキッチンカー、武将隊の演舞まで!
今年の7月16日は水曜日。平日でも関係なく、地獄の釜のフタが開く日にえんま祭りは開催されます。
スケジュールは以下のとおり。
① 15:00~20:00、まずは玄宅寺本堂にて、地獄絵図のご開帳。
自由に見学できます。紙芝居は17:00~、18:00~、19:00~、20:00~(1回30分)
②16:00~は駐車場にてミニ縁日。
千本つり、射的などが出店予定。キッチンカーや地域のお店など、色々なフードメニューが販売されますよ。
③16:00~、今年初の試みとして社会人アメリカンフットボールチーム『九州熊本マーベリックス』が、アメフト防具を装着して来場!
子ども用の小さめボールで投げる体験ができ、フラッグフットボールのストラックアウトも楽しめます。
④18:20~スイカ割り
⑤19:00~熊本城おもてなし武将隊演舞
⑥19:40~手持ち花火
おもてなし武将隊の中でも、水前寺成趣園を造られた細川忠利公の父・忠興公(細川ガラシャ夫人の夫)にご来場いただきたいですね。
しかしどの武将も、キレッキレの演舞がすごいです。
こんなイベントが参加費無料ってウソでしょう!?
玄宅寺は、名物辛子レンコンと関係ある?
かつて玄宅寺内に設置されていた『水前寺肥後細川文化発信拠点 湧水亭』は、昨年、水前寺成趣園へ向かう参道に移転しました。
この湧水亭でも辛子レンコン味のお菓子が販売されていますが、熊本名物と言えば、辛子レンコンですね。
実は辛子レンコンと玄宅寺とは、深~い縁があるのです。
ここ玄宅寺は、福井県の永平寺と神奈川県横浜市の総持寺を本寺とする、禅宗の中の曹洞宗のお寺です。
今から400年ほど前の1632年(寛永9年)、細川忠利公が熊本城に入られた時に、豊後の耶馬溪にある羅漢寺の玄宅禅師(げんたくぜんし)を連れて来られました。
現在、熊本城前電停から路面電車に乗ると、玄宅寺最寄りの水前寺公園電停は9つ目。城下町からちょっと離れた地域ですが、江戸時代初期には原野が広がり、狩りが楽しまれていました。
阿蘇山の伏流水が豊かに湧き出す水郷に、忠利公は休憩のための御茶屋『酔月亭(すいげつてい)』を建てられます(現在の水前寺成趣園内『古今伝授の間』がある場所)。
目の前で地下水が湧くところに、忠利公が創建されたのが『水前寺(すいぜんじ)』。玄宅禅師が初代和尚でした。
この玄宅和尚が、体の弱かった忠利公に、「熊本城のお堀に蓮がたくさん生えている。レンコンは滋養にいいから食べるように」と進言されたのです。
そこで料理人が考案した創作料理が、あの辛子レンコン!
レンコンの穴に辛子味噌を詰めて、衣を付けて揚げます。おお、なんと、切り口は細川家の九曜紋(くようもん)のごとし。これはめでたい!
お殿様は喜ばれ、料理人に褒美として「森」という姓を与えました。今では子孫が『十八代目 元祖 森からし蓮根』というお店で、お殿様の滋養食を製造販売されています。
玄宅和尚がいなかったら、辛子レンコンは存在していなかったかもしれません。
その後、『水前寺』が池から少し離れた現在地に移された時、玄宅禅師にあやかって『玄宅寺(げんたくじ)』と改名。
よく「『水前寺』というお寺はどこにあるの?」と聞かれますが、この玄宅寺こそ、かつての『水前寺』なのです。
水前寺活性化プロジェクトチームが協力
玄宅寺だけで、イベントを開催しているわけではありません。主催は永野さんを代表とする、水前寺活性化プロジェクトチームです。
発足は、永野さんが自治会長になられた12年前。「水前寺成趣園は、たまり水ではなく、常に地下から湧き出た新しい水が流れ、江津湖も含めて豊かな自然が残る地域です。そして江戸時代初期に造られた大名庭園を、ほぼ同じ姿のまま何百年も守り抜いてきた人々の思いを感じます」と永野さん。
1877年(明治10年)の西南戦争で、熊本市内は荒れ果てました。そんな時、旧細川藩士たちが、「ぜひ殿様の庭園を民間に払い下げて」と頼みました。
そして湧きいずる水のほとりに、細川のお殿様を祀った『出水神社』を創建したのです。戦争ですさんだ熊本の人々の、心のよりどころになったに違いありません。
水前寺成趣園は、1976年(昭和51年)には年間189万人もの入園者がありました。しかし1991年(平成3年)、雲仙普賢岳が噴火すると、関東から長崎・熊本への修学旅行生が減少してしまったそうです。
2013年(平成25年)に自治会長に就任した永野さんは、「この歴史的遺産や自然を含む水前寺地域の魅力を発信し、遠来の観光客だけではなく、熊本の人にも足を運んでいただけるような、観光地域づくりを行いましょう」と、協力を呼びかけました。
以来、熊本市や水前寺参道商店会、砂取6町内、そして熊本国際観光コンベンション協会や地域の皆さんと協力して、イベントや清掃活動など、水前寺エリアの活性化に貢献されています。
永野さんの優しいお人柄が、周りの人たちを巻き込んでいるんですね!
玄宅寺にあるナデシコに、爪にも満たない小さなチョウが止まっていました。そんな小さな、一日限りの無料イベントですが、ぜひ玄宅寺や水前寺成趣園界隈に足を運んでくださいね!
公共交通機関か近くの有料パーキングをご利用ください。
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